発見誌4月号より

<巻頭言>
水谷先生の言葉「我々神経質者は、風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。平凡を20年、30年と積み重ねると極めて稀な非凡な人になれる」が印象に残りました。平凡を積み重ねる大切さや平凡をまだ積み重ねていない自分を反省しました。

<日本のことわざと森田的な考え方(下)>
先月号からの続きで、沢山のことわざを知ることができました。そしてことわざは人間心理を突いたものであること、ことわざには、森田理論に通じたものも沢山あることを知ることができました。孤独感についての解説では「自分で自分を閉じてしまう感じが半分、他人のところに寄っていかず垣根をつくって他人をいれようとしない感じが半分」の説明はわかり易かったです。
「窮すれば通ず」について、森田先生の言葉が以下あり、参考になりました。
「どうしてもしかたがないとゆきづまったときに、そこに工夫も方法も尽き果てて弱くなりきるということになる。この時に自分の境遇上、ゆくべきところ、しなければならぬことに対し、静かにこれを見つめて、しかたなく思い切ってこれを実行する」

<体験記 社会不安障害>
社会不安障害からまだ、抜け出せきれない気持ちを綴った良い体験記と思いました。「神経質症状が強く固着した患者に対して森田は、どのように治療したのでしょうか」という文章に筆者の思いが籠っているようにに感じました。苦難の人生経験から、自分の性格を見抜いて「治るとは、どういうことか」について今、価値観の転換(目標が症状を治すだけではない)が図られていることが読み取れました。自分自身も森田の基本を再度、学ばして頂き,感謝します。

<私が初めて集談会に参加した日>
同じ支部の仲間の投稿でした。いつでも感じることは、初回者は悩みと不安を抱えながら集談会に出席していることで、そのためには如何に初回者に寄り添い、初回者の気持ちを聴き共感する必要があるということです。森田療法がどうだ、こうだと話すより初回者に共感することの大切を学びました。集談会を運営する一人として参考になりました。

<各地の活動から>
集談会のたとえとして、面白い表現がありました。それは「集談会は、言わば汽水域のようなもので、海洋魚がいったん汽水域で力をためて海原に打って出るためのエネルギーを養うところでもある」です。1カ月の悩みを安心して話せる場で、次の1カ月に向けて力を皆さんからもらえる場であると思えました。

<パニックな私の森田な日々>
ヒトミンさんの漫画版体験記、楽しみにしています。

<私のとっておきエピソード①>
私に勇気をくれた森田の言葉が良かったです。皆さん、座右の銘にしているのだなと思いました。「あるがまま」がキーフレイズですね。そして「あるがままより他に仕方がない」「症状があってもやるべきことができ、やりたいことができていれば、それが「治った」ということだ」など印象に残りました。私は、森田の言葉ではないかもしれませんが「今を生きる」という言葉が好きです。症状があろうがなかろうが、今を大切にし、日常生活を淡々と送ることが森田につながると思います。

<生ing 森田療法②>
森田療法をもう一度、学ぶことができました。幼弱性の項目では、自分自身に当てはまる事がたくさん、ありました。観念的、依存的、自己中心的などその通りだと思いました。
恐怖と欲望の調和では、「我々の人生の活動の大小、世に貢献するものと酔生夢死との分かれ目は、実に欲望と恐怖との相対的関係の如何によって定まるものである」では、我々は、欲望が強すぎる、欲望の裏返しとしての恐怖があり、その結果として神経症の症状に陥るという理解をしました。例として戦争の前線での話は、森田先生の昭和の時代は、戦争がさかんになる時代だったのだなと思い、現代もその時代に似てきたのかもしれないと思ったりしました。

<集談会が心地よい居場所であるために>
興味深く読みました。今の集談会の運営について感じるところが沢山ありました。初回者の2回目以降の出席はどこでも少ないのだなあと思いました。今の時代は、森田先生の時代よりも精神疾患は、世の中で拒絶反応も少なくなり、心療内科など治療機関も多くなりました。このため何か得るものがないと感じた初回者は、次回の出席はないと思います。最初から森田理論を振りかざしてもダメですね。また初回者が即効薬を求めていることも確かです。初回者が来て、何か得るものがあったと思える集談会にしたいと強く思いました。また森田の言葉では自分を戒める言葉が沢山ありました。
「この会の修養で自我執着が治ると今度は、前の反動で自分も人と同様という平等観に囚われて自分の心をもって、直ちにこれを押し付けようとする。いずれもまたいけない。人の心は千変万化であるという事に思いを潜めなければならない」

<広がれ!リモート集談会>
今後の集談会でZOOMによる開催は、全国各地の仲間と語り合うことが出来るメリットがあり、対面が基本ですが、新しい手段となるように感じました。「日々降りかかってくる様々な出来事やヒトとの出会いには、すべて意味があり、必然のことのように感じる。決して偶然ではない。そう思うと感謝の気持ちがわいてくる」という文章は、印象に残りました。しかしリモート開催にあたっては、それなりの知識が必要であるため、現状では二の足を踏んでいます。どうやって一歩を踏み出そうか思案中です。「コロナ明け後は、集合型の集談会開催を基本とすべき」という最後の文章にホットしたりしました。

<「生活の発見」誌の源流を訪ねて(下)>
生活の発見誌の創刊当時の話の中で森田療法と社会教育を視野に入れ、社会に広めたい、今回、教育面での流れを知ることができました。「真の教育は、人を導こうというとするような高慢な心で行われるものでない。自分自らが人生永遠の旅人として、ただひたすらに自己の道を歩もうとする心、この心をもって若い同行と道づれをするところにおのずから真の教育が行われるであろう」という文章が印象に残りました。たしかに師匠を手本に自らが考え、学んでいくのが理想の教育なのかもしれません。現代の教育(受験教育)への問題提起と理解できました。また社会教育の流れとしてのいろいろな教育者を知ることができました。「知能に頼るよりもあるがまま生きる」「よく聞き、そしてよく見る」「宇宙非大、人間非小」など森田に通じる言葉もたくさんありました。

<中高年のひろば 勝敗の行方>
楽しく読まして頂きました。老年の夫婦二人の生活になると、どこでも同じだなあと思いました。常に引分け状態が、ストレスが溜まらず精神面、健康面には、良いのかもしれませんね。

<ひろば>
ひきこもりについての知識を得ることができました。集談会でも引きこもり関連の方が参加されることもあり、たいへん参考になりました。ひきこもりの回復支援として「人に傷つけられたとしても、人の中でしか回復できない」は印象に残りました。温かい雰囲気の集談会こそ、心の悩みの人達にとっての支援の場所であることを強く思いました。


参考資料です

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