発見誌6月号より

2026年発見誌6月号
<巻頭言>完璧の果てに森田と出会う
不安は取り除けるという思い違いに悩んで森田に辿りつくのは、皆さん一緒ですね。「不安と共に生きる」ことを体得していくのが森田ですが、それでも不安を取り除く作業を時々、やってしまいますね。集談会を利用して森田理論を生涯学習として体得したいと私も思っています。

<名文発掘>個人の前進と集談会の関係(下)
・「相互啓発型学習の確立」では、ともに学び、ともに実践する姿勢について理解することができました。森田を知って学んでいく中で、お互いが先生で「自分はまだ悩んでいるが、学習によってこういうことがわかったので、こんな努力をしている」という事実を語ることが先生であり、皆さんへの気づきになりますね。相互啓発であることを忘れてはいけないと思いました。
・「仕事と余暇の区別を超えて生きる」では、「ものの性を尽くす」についての説明も通じることが少し理解できたように思います。仕事と余暇の区別なしに「いま」「ここ」に生きている、これは確かな事実で「いま」「ここ」をいい加減に生きると命を粗末にしたことになりますね。
「私たちは余暇を活用して森田の集団学習の道を選んだ。集談会で仲間と一緒に活動している。活動の中で精一杯工夫して努力するとき、私たちはは命の限り生きている」という文章は、心に残りました。集談会は、自分たちの性格の良いところを磨く場であることも理解できました。

<体験記>逆境と苦悩から生きる光へー不安神経症・パニック障害
壮絶な人生経験から森田を知り、自身の性格である「私様」を見直して、今は心穏やかに生活されているOさんを想像できました。発見会を知って、同じ仲間がいることの安心感、森田を通しての神経症のカラクリを十分に理解されているのだなあと思いました。行動的なOさんには、これからの人生は、安心できる新しい世界が現れるのかな?と思いました。
そしてこの体験記で森田理論の学び直しや「求不得苦(ぐふとっく)」(求めることは出来ても得られない苦しみ)など言葉を知ることができました。感謝です。

<集談会ヒント集>佐賀集談会
佐賀集談会のYさんにHPの作成を教えていただき、お世話になりました。集談会運営で工夫していることの項目は、たいへん参考になりました。以下の言葉が心に残りました。
・理論学習の時間を必ず設ける。集談会は悩みを共有すると同時にこれからどう生きるかを学ぶ場である。
・参加者全員に集談会に参加した感想をお話していただく時間を設けている。話すことで自分自身の気づきを深めていくキッカケになればと、行っている

<パニックなわたしの森田な日々> 「吃音症」「対人恐怖症」
壮絶な少女時代(DVなど)を過ごしたはるさめさんが、どのようにして森田を知り、立ち直っていったのか、これからの展開を楽しみにしています。

<はっ犬 オリジナル森田を読む>
面憎い(おもにくい)という言葉を知りました。憎たらしいという意味だそうです。
自己中心的な面が強い我々は、苦手な人を強く意識することが多いかな?と思っています。
対人関係に役立つ話で参考になりました。そして以下の文章が印象に残りました。
・面憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを、私は「自然の感じのままに服従する」と称します。挨拶くらいはしておいた方がよかろうと考えて、お世辞の一つもいうのを、私は「境遇に柔順」と称するのです。
「自然に服従し境遇に柔順なれ」の言葉の具体例で話されていてよかったです。

<フロムメンバーズ>
・「こころ潤う「今月の言葉」」
山口集談会の原稿を載せていただき感謝です。山口集談会を知ってもらいたい、Uちゃんのすばらしいエッセイを全国の皆さんに読んでもらいたいと思い、投稿しました。
・「不思議な体験」
92歳で集談会に参加されていること、敬意を表します。書痙の方に治らないことを自覚するまでの苦しみや葛藤は、たいへんな事と思います。外に目を向けよ!という森田療法はきつい療法ですね。発想の転換で「左手で書く」という良い考え方ですね。練習すれば、それなりのものになりますね。また私も時々、手が震える経験があったので老人性振戦という症状があることを知りました。ありがとうございます。
これからも健康に留意されて、集談会に参加されることを願っています。

<つながり―今、ここを生きるー>アドバンス・ケア・プラニング
今回の企画は、高齢者の私にとっては生涯森田の最終到達点としてたいへん意味のあるものでした。介護が必要になった時にどう生きたいかを考えるキッカケとなりました。しかし実際にはその時になってみないとわからないというのが自分の現実です。また現役の人達にとっては、「今をどう生きるか」が大きなテーマであり、森田理論も「今を大切に」が基本と私は理解しています。今を強く意識した「今をどう生きるか」とは、少し違うのかなと思いました。しかし最後の方の記述にもありましたが「私たちには森田療法の死生観や自然観が間違いなく根付いていることを感じました」は心に残りました。森田を学び続けることで私にも自然と森田療法の死生観、自然観が身に付いて来ているのかなとも思いました。

<再録 学習会シリーズ>神経症の成り立ち
たいへん読み応えのある内容でした。森田療法にはたいへん難しい言葉も多く、煙に巻かれたような気持ちになった経験もありました。筆者の体験が詳しく書かれていて、わかりやすく説明しようとする気持ちが強く感じられました。そして以下の記述が印象に残りました。
・何か困難な状況に直面すると、すぐに他人や自分以外のものに「依存」する。これは自分に甘く、人には厳しい自分勝手な「自己中心的」な態度です。
・神経症になっている人は、頭の中にある「かくあるべき」姿を現実で実行することが無理な考え方と知りながら、ありのままの自分を認めることができず、いつも現実離れした虚像を求め、さまよっているのです。「症状」は、自然現象ですので私たちの意のままになるものではないのです。
・森田正馬は初めから「嫌な感じ、不快な感じ」が治るとは、一言も言っていないのです。その嫌な感じは治らない、治してはならない、むしろそれと「一体になって生きる」ところに本当の生き方があるのだ、だからそのままなすべきことをしていけばいいと、繰り返し教えている。
☆自分の性格をしっかりと理解し、不快感(症状、劣等感など)があっても、そのまましてなすべきをなして、日常生活を送ることが基本であることが深く理解できました。

<中高年のひろば> あるがまま
ご高齢ながら毎日、一生懸命頑張って生活している様子が感じられました。「中高年の心豊かな人生を考える会」などに出席されて、心豊かに生活しようという意気込みが感じられました。同じ高齢の私の生活に参考になりました。

<ひろば> 生への力と気づき
テレビで横田選手のことを知りました。奇跡のバックホームのシーンを見て、奇跡は起こるんだと思いました。努力が奇跡に繋がったと思いました。また引退後に横田選手は、余命を知りながらボランティア活動で学校での講演会を続けて生徒たちに熱く語る姿に感動しました。夢の実現に向けて努力は奇跡を呼ぶことを伝えたかったのかなと思いました。

参考資料です

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