2026年発見誌1月号
<巻頭言>欲求に“かじりつく”1年に
“かじりつく”という表現がよいですね。子供のように無我夢中になれれば、神経症症状を忘れることになり回復に繋がっていくことになるのだと思います。無我夢中になれるように欲求を強く持つことが必要ですね。また「両面観」という考え方はたいへん重要と思っています。最悪な出来事でも必ずプラス面があると思っています。
<特別対談> 不安とともに生きる力
福治先生が「かくあるべし」の強迫観念が強く、神経症を経験した当事者で発見会に出会い、精神科医を目指したことを知りました。理科系で禅に興味があると森田療法がフィットするのですかね??自分にもそんなところがあります。対談の後半に「発見会は学び合いの場」であるという話し合いは、集談会の意義が書かれていて良かったです。
・「「同じように悩んでいる人がこんなにいるんだ」と実感できて、肩の力が抜ける。悩んでいる人、立ち直った人が混ざり合って支え合う互助組織で、来た人に「役立ちたい」「自分の体験を伝えたい」と思う気持ちも自然に生まれてきますし、話す側にも振り返りや再発見がある。まさに学び合いの場ですよね。」など集談会の良さが書かれていました。なんでも話せて寄り添える集談会でありたいと思いました。
<幸せ体験 お年玉>
日常生活の中にある何気ない小さな行動、行為が幸せにつながるんだなあと感じました。
心を内から外に向けることや感謝の気持ちを持つことは、神経症の解放からの第一歩ですね。たいへん良い企画で小さな幸せを感じることの大切さが理解できました。イラストも良かったです。ちなみに私が幸せだなあと感じる時は、今の時期では夕方にお風呂に入って時です。体が温まり、腰の痛みも減って今日も何とか過ごせたなと思う時です。
<わたしの森田人間学> 「強迫観念」の体験を語る(8)
森田療法が始まった時期(1920年前後)のお話があり興味深く読みました。
森田療法で「とらわれ」から解放された先輩方が森田療法の確立に協力したこと(形外会)も理解できました。
・わたしたちは、いつでも、ひきつづき「森田」に学び、気づき(自覚)を深めていくのが望ましい
・「もうよくなったから、いいだろう」と森田から離れてしまうとーーーいま得られた実生活における自信は、たいてい遅かれ早かれ、もろくもくずれ去るのでは
・森田人生観のめざす方向性とは、「人生の根本課題」そして「修養」とは素直に「生涯学習」のこと など印象に残る言葉があり勉強になりました。
<体験記>生き直し宣言「今ここ」を精一杯生きられるようにー吃音・対人恐怖
たいへん辛い人生経験が語られた体験記で、森田を学んで自分自身を理解され「今ここ」を力強く生きているTさんを感じました。コメントにもありましたが、この体験発表をじかに聞かれた方は、感動され森田療法や集談会の良さを強く感じたのではと思います。
またTさんが森田理論を良く理解されて、変えられない自分(吃音)に対して吃音軸から自分軸に変えた姿が素晴らしいなあと思いました。そして「生きる糧」となる言葉をたくさん、いただきました。ありがとうございます。
・怖い時は怖い、不安な時は不安、無理に平気なふりをしたり、ポジティブにみせなくていい。そう認めるだけで自分を否定していた感情が流れていくようで葛藤も少なくなった。
・人の感じ方はそれぞれで自分のフィルターを通して見ているだけ
・コントロールできることとできないことを分ける
・「今ここ」を大切に生きることの連続が自分の未来に繋がる
・人は悲しみが多いほど、ひとには優しくできる
・人によって傷ついた心は人によって救われる などです。
<私と森田と発見会> 感謝即幸福 & 不問の森田療法
・「感謝に気づくことは治ることへの近道です」
確かに感謝の気持ちを持つことは大事なことですね。外に目を向けることで自分に与えられている多くの恩恵に気づくことが、内面にとらわれている心が少しでも解放されるのだと思います。ただし感謝は、何かを手にいれるための「道具」ではないことを理解していなければいけませんね。また感謝の気持ちを忘れずに、毎日を過ごさなければと思いました。
・「執着(こだわり)の手放し方、捨て方」
執着に対する一つの考え方で参考になりました。捨てるとは、そのことに対する関心が消えるですが「とらわれてもいい、とらわれなくてもいい、どっちでもよい」というフレキシブルな考え方が大事なのかもしれませんね。
・「不問の森田療法」
「とらわれても問題にしない、即ち不問。自分の心を観察しない、心を覗かない、自分の頭脳で思い通りの心しようとしない。心を完全に放置する」とありますが、頭でわかっていてもなかなか難しいのではと思っています。治るとか治らないとかにこだわる心に目を向けず、今やるべきことに取り組むことが大事であると理解しました。
<モリジイと学ぶ学習会シリーズⅡ> 8.治るとはどういうことか
・『「治る」とは「治らんこと」つまり不安感、恐怖感、強迫感があるのが自然で健康な状態だと解ること」ということが理解できるまでが、人によってはなかなか時間がかかり、初心者にとっては難しいと、いつも思っています。今、目の前にあるやるべきことに、一生懸命取り組むことで、その瞬間は症状のことは結果として忘れていることが理解できると道が開けるのかもしれませんね。
・『「より良く生きる本能」は現状を否定する』という言葉は、心に残りました。確かに理想と現実のギャップに悩んで神経症状を発症するのだと思います。『今』ことそ事実であることを率直に認めて、身近なことから行動を起こすことから症状からの解放が徐々に始まっていくのだと思っています。そしてモリジイのひとりごとにもありますが森田理論は「人間性の事実」の学び直しであることと思っています。生涯学習として続けていきたいと思います。
<中高年の広場>猫からもらった幸せ
猫ちゃんへの愛情や気持ちがたくさん伝わり、こちらも温かい気持ちになりました。
ありがとうございます。
2026年発見誌2月号
<巻頭言>人間関係も良くしてくれる森田
生育歴は性格に影響することは確かのように思いますが、原因追及しても現在の性格が大きく変わるわけでもないですね。辛いことかもしれませんが「あるがままの自分を受け入れる」しかありませんね。森田を学ぶことがいまの自分を受け入れる助けになるのかもしれません。そして自分の性格の良さにも気づき、「欲求に乗って」生きていけるようになるのだと思いました。「やるべきことは曲りなりにもやる」の言葉は心に残りました。
<特別対談> 不安とともに生きる力 後編
森田療法のエッセンスがたくさん、書かれていました。不安や嫌な感情を異物化しないこと「不安があるのは自然なことだ」が重要ですね。
・「若い人は早く欲求に気づいて行動できると、すっとよくなります」は印象に残りました。早くヒントを得れば深みにはまりにくいということですね。
・「さっと手を出す」「すっと動く」では理屈ではなく、まず行動すること、「気軽に動く」
・「できることとできないことを見極める」「感情をコントロールしない」
など心に残る言葉がありました。また「恐怖突入」という言葉より「やってみなはれ」の方が温かいみがあります。トライ&エラーで人生は成長していくことを教えてもらいました。
<名文発掘>森田療法学習のポイント(下)
集談会の終わりに「今月の総括と来月の実践目標」を確認していて、なんとなくマンネリ化していることに対して見直す機会になりました。「学習―実践―総括」のサイクルが森田療法を深めることになることを実感しました。仕事でも「計画―実行―結果修正」サイクルが大事であることを思い出しました。実践のサイクルによって森田療法が身についていくことを改めて理解できました。参考までに昨年の12月号の森田療法学習のポイント(上)(下)の項目を纏めると以下です。項目だけでも役立つのではと思いました。
☆森田療法の学習
1. 誤った認識と誤った行動を正す。―>それは人間性の再教育である。
2. 会員相互の励まし合い、助け合いで前進 ―>集談会出席で自分だけの悩みではない。
☆森田療法学習と実践の方法
1. 森田療法の知的理解 ―>神経質症の本態を知る
2. 体験談の聞き方(読み方)
(1) 自分の体験に照らして読んでいく ―>自分の体験の反省になる。
(2) 森田理論にあてはめてみる ―>目的本位の行動か、治癒過程のどこかなど
(3) 先輩は後輩の体験で自己反省―>過去の反省、神経質者相互の連帯感、積極的共感
(4) 他人の体験によって自分を客観視する―>症状を漫画視できれば解放へ
(5) 自分の体験を通しての助言―>助け合いの場、相談にのる、森田の再勉強
3. 実践目標をたてて、実践
(1) 身近ことから実践
(2) ともかく実践
(3) 実践のなかで自分の欲求に目覚める
(4) 本来の欲求に即した実践
4. 総括
(1) 自分の考え・行動を整理する
(2) 実践効果の正しい評価
(3) 失敗を生かす
(4) 学習―実践―総括
(5) 事実唯真の立場
(6) 神経質を活かした生活
☆生活の発見会活動への参加
1.発見会活動は作業療法 2.ともかく続けて出席する 3.できることから手伝う 4.発見会活動参加は自分のため
<体験記>森田理論の学習と毎月の集談会参加で、日常生活が変化―不安神経症・疾病恐怖
体験記を読んで、人との出会い(伊丹先生、モリジイ)と自ら学び、毎日コツコツと実践することが大切、これこそが学びの王道であることを実感しました。学ぶ姿勢が大事なことは、52歳で通信制大学に入学し、卒業したところにも感じました。集談会での話し合いから振り返りや気づきができることは私も実感しています。そして日常生活の小さな実践が人生を大きく変えていくことを学ばしてもらいました。
・行動日誌にできたことを書くことで自己否定感から自己肯定感を感じるようになった。
・集談会への参加と日常生活での小さな実践の積み重ねが大きく羽ばたく。
などが印象に残りました。
<はっ犬くんオリジナル森田を読む>
通信療法での強迫観念(不潔恐怖)の話で、昔から手紙による相談室があったのですね。
・強迫観念の人は自分ばかりが苦しくて気のすむようにするのが当然
・断じて思い切って止めなければなりません。しかしただこらえるというのは困難ですから常に自分をいそがしく働く境遇におくことを工夫することが便利である。
・神経質は自己中心的であり、強迫観念の起こる出発点
・苦しくとも出るべき所、行くべき所へは、断じて行かなければなりません。
など森田療法の原点が書かれていました。
<パニックな私の森田の日々>
ゲーム依存症の人はスマホ・ゲーム・パソコンを取り上げて、人生を見直すために入院は重要だなあと思いました。ゲーム依存症でない人間でも、現代病であるスマホ依存になっている世の中ですね。毎日、数時間でもスマホから離れる努力を感じました。
<私が初めて集談会に参加した日>
「アクセルとブレーキの利かせ方がよろしくない」という言葉の意味をどうとらえてよいのか、考えさせられました、神経質者は自己中心的で、臨機応変な対応ができていないと思いましたが?
私も発見誌に線を引いて7毎月、読んでいますよ。人生の糧として
<集談会・ヒント集> 福井集談会
「来るものは拒まず、去る者は追わず」のスタイルから脱皮は必要かもしれませんね。
既存の出席者を含めて「集談会をつなげていく努力」を工夫していくことを強く感じました。
資料を参考にさせていただきます。
<モリジイと学ぶ学習会シリーズⅡ> 9.「まとめ」のしかた
・「かくあるべし」は、ある面で自分の思想なのですが、それがあまり頑なに強すぎると金縛りに会ってしまうのかな?と思いました。その時々の場面で加減が必要で、良い加減で生きていくことが大切だなあと思いました。神経質者はいいかげんな事ができない性格かもしれません。
・症状の裏にある自分が大切にしている欲求を発見し、その欲求に向けての行動が大事ですが、悩みの真っ最中は、症状ばかりに囚われて、この欲求が理解できなかったかなと今、想っています。それには時間や休養も必要かなと思ったりしています。
<各地の活動から>
☆埼玉大学国際シンポジウム参加報告
戦時下のウクライナで人々の心を癒すために森田療法が生かされることに感動しました。
自分自身を大切にし、「今、この瞬間を生きる」の森田の言葉を信じ、ウクライナの人々に早く平和が訪れて、「今を生き抜いてほしい」ことを願っています。
<学習会参加報告>
オンライン学習会は課題に対して、自分の気持ちを文章化することで気づきや新たな考え方が生まれることをいつも感じています。集談会でも自分自身を振り返るために文章化の時間もあったら良いのかな?(発表は各自の判断で)と思いました。
「かくあるべし」のおかげで困難な状況を乗り越えることもできた」という文章に、「かくあるべし」をすべて悪者にしないで良い見方もできるのかな?すべて匙加減であることが理解できました。
<中高年のひろば> 90歳を前にして
数え90歳を迎え、毎日元気に過ごされている様子、参考になりました。
一生、趣味を持ち興味を持ち続けることや、毎日を「なすべきことをなす」の精神で淡々と生活することが大切であることを教えていただきました。
発見誌3月号
<巻頭言>神経質性格を生かす
執着心や完全欲を生かした教材作りに感心です。間違えることや失敗することが大事と理解してくれる先生に出会った生徒は、知識が増える勉強の楽しさを知ることができるのかなと思いました。間違えることや失敗することの大切さを知りました。
<名文発掘>大乗的森田療法(上)
大乗仏教、小乗仏教に引っ掛けて神経症についての心理状態を説明されていて、大変よくわかりました。神経症で悩んでいる時は自分のことばかりで、他の人がどれくらい自分のために迷惑しているかどうかは、眼中にないですね。自分の言動に周囲の人がどのように心配し、悩むかということを頓着しないですね。自分が悩みから解放されて、他人の悩みの解放に役立つようにする態度にならないと本当に治ったとは言えないのかもしれませんね。
「不安というものがあらざるを得ないんだから、それを受け入れて不安に刺激されて努力するんだ」という言葉は、印象に残りました。
<わたしの森田人間学> 「強迫観念」の体験を語る(9)
森田正馬全集・第五巻の一部の紹介、たいへん興味深く読みました。
「生死する生命の本質」に思いを馳せると「生きるとは何か」を教えてくれる哲学的な内容もあることがわかりました。「こころの自然に服従」で「自然に服従、境遇に柔順」がより分かり易くなりました。また「心身同一論(こころとからだは一体)」から「生と死は同一のことがらの両面」から「欲望と不安」「感情と理知」「主観と客観」「自力と他力」などの両面観が生まれたのかと思いました。「わたしがわたし自身そのものを生きる」の言葉は「生と死」を考える年代の今、「今を生きる」という気持ちを強く持つことができました。森田を生涯学習にして良かったと思いました。
<体験記>森田療法で変れた私=対人恐怖、乗物恐怖
特別対談など発見誌によく登場するTさんの体験記でした。ある日突然、自信を失い神経症が発症するケースは、仕事で燃え尽き症候群になり、心身共に自信を失い、周囲を気にしていた過去の自分を思い出しました。自分もTさんと同じように、勝手に自己像を作り上げていて、それにとらわれていました。偶然、長谷川先生の「森田式精神健康法」に出会い、自分の神経質性格に気づいた次第です。この体験記を読んで自分自身を振り返ることができました。感謝します。
「症状の泥沼に陥った原因は、ショックで自信を無くした時なら誰にでも起きるうるような体調の変化や不安な気持ちを誤った認識により、あってはいけないものとして治そうと不可能な努力した。」「症状には逃避の役割がある。」などの文章が心に残りました。
<お悩み相談>
金縛りのとらわれを例として森田療法を分かり易く説明されていました。
① 恐怖をそのまま受け入れる。恐怖を感じながらも横向きに寝直すしかない(認める)
② 恐怖心を感じながらも「今やるべきことを自分ができる範囲で懸命にやる(あるがまま)
と要約されていて良かった。すべての不安、恐怖、すべてのとらわれ(症状)に役立つ文章でした。ありがとうございます。
<パニックな私の森田の日々>
依存症の人は完璧主義が強いのでゲームに勝つまで、自分が満足するまで没頭していますのですね。結果としてお金が尽きるまで没頭することがよくわかりました。神経症のまっただ中の人は四角四面の考え方に陥っているのかもしれませんね。ゆるキャラも必要なのですね。神経質性格を改めて勉強できました。
<各地の活動から>田所重紀先生特別講話
田所先生の笹舟モデルは、過去、発見誌にも掲載されたのを覚えています。笹舟モデルを見て「自然に服従し、境遇に柔順なれ」を図式化したのかな?と思いました。図式は人生哲学を表していて、このように生きていければなあと思ったりしたことを覚えています。
<生ing セイ・イング>森田療法Ⅳ①
森田療法の日記療法についての解説でした。日記を見ながらの面談であれば、治療者と患者との係わりも深くなり、良い方向にむかっていくのかなと思いました。また日記療法がもたらすメリットの記述は、普通の人にとってもメリットがあり毎日、日記をつけることの大切を教えてもらいました。
・頭の中の考えが整理できる。 ・自分を振り返り内省するきっかけになる。
・感情を自分でそのまま受けとめる態度が養われる。
・自己洞察が深まり、自己受容につながる
などは、自分自身だけでもできることかなと思いました。
<学習会参加報告>
「私は神経質者としてこれからもいきていいくしかないんだ」
「どうせ自己中心的ならば、私はもう少し自分を信じてみても良いのかもしれない」
など心に残る言葉があり、皆さんそれぞれ、色々な気づきができているんだなあと思いました。
<森田療法とともに世界へ>
先月号でウクライナ戦争下、森田療法が活用されていることを知りました。そして今回、ウクライナ教師への心理支援について、もう少し知ることができました。
「戦争という現実は変えられない。だからこそ自分のあるがままで生きてよい」「休憩を含めた小さな建設的行動を重ねていく」
戦争という強烈なストレスの中で森田療法が少しでも役立つことを願っています。
不安や恐怖の状況の中でいかに前を向いて生きていくかの命題は、なにも神経症の人だけのものではありませんね。
<中高年のひろば> ゴッホについて
ゴッホについて弟家族が絵を世に出すことに尽力したことを初めて知りました。
ゴッホは対人が苦手、不器用、繊細、自己肯定感の低さ、その反面、生の欲望、自己主張の強さのアンバランスから独特の絵が生まれるのですね。その人の個性を認めてあげることが大切ですね。
2026年発見誌4月号
<巻頭言>差別感から平等観へ
苦しみ、悩んでいる時は自己中心的で、他人の苦しみや悩みについて考える余地はないですね。人の気持ちをわかろうとしてくると、とらわれから解放されて、少しづつ苦しみや悩みが減っていくのかもしれませんね。最後の文章にありましたが
「集談会に本当の愛がなければ理論とかアドバイスだけでは、来会された方が継続して参加されることはないと思います。相手を思いやり尊重し支えあい、平等観をもった愛のある集談会であり続けたいものです。」の文章は心に深く残りました。
<名文発掘>大乗的森田療法(下)
印象に残る文章がたくさんありました。
・治らずに治った。治らないままにやれるということを体験することが大切。
・自分を犠牲にして、ひとのためにやるということは自分でもなかなかできませんから、人にもなかなかすすめない。ひとのために大いに役立つことをすれば、自分のためにもなる。自分の発展にも繋がる。
・一緒になって役に立つことをやれば、人間的な安定感というか、いわゆる連帯意識が生まれて疎外感から解放される。
・世の中との関わりを持つことが大切。
空襲での消火活動、従軍記者の負傷兵の担架援助は、大きな不安の中での無心の行動であり神経症の解放のヒントになると思いました。自分のためではなく、たとえ小さなことでも人のために役立つことをすることが、結果として自信となり症状からの回復に繋がるのかなと思いました。最初は失敗があるかもしれませんが行動を続けることで、成功体験が得られていくのですね。やればできるよ!YOU CAN DO ITの気持ち大切にですね。
<体験記>神経症と共に生きる=不安神経症、高所恐怖症
お母さんの介護で退職して、看取りまでお世話されたこと、大変な生活だったのだなあと思いました。最期を迎えるのに、お父さんと同じ病院でというお母さんの希望をかなえられたことに敬意を表します。集談会に参加して、同じ仲間がいることや温かい声掛けで自己受容ができようになり、回復に至ったことが良くわかりました。集談会の大切さも理解できました。森田を学ぶことで、いろいろな気づきができ、症状のマイナス面だけでなく、「神経質のプラスの側面」を学べたことは良かったのかなと思いました。
「症状を受け入れ、等身大の自分で神経症と共に、そして支えてくれた人たちへの感謝を忘れず、残りの人生を生きていきたい」という言葉が心に残りました。
<はっ犬くん オリジナル森田を読む>
孔子の言葉など勉強になりました。我々、神経質者はたしかに気分本位に囚われていることが良くわかりました。試験勉強が楽しいわけがありませんね。嫌で苦しいながらも実行することが大切ですね。
<パニックな私の森田の日々>
ゲーム依存症の立ち直りを知ることができました。「日常の些細な事にも感謝できるように、日々の生活をいかに充実させていくか」は森田理論にも通じるところですね。ひろのぶさんの「あるがまま」の詩は大変良かったです。まさに「あるがまま」の心境を表していると思いました。
<つながり>―今、ここを生きるー
「亡児の思い出」を読んで「死の前」「告別式」「亡後」「結辞」と森田先生が最愛の息子を失った悲しみを一年間にわたって書き残したことに驚きました。一周忌までの心の動きがきめ細かく記述されていて、より感動しました。すばらしい文章で一周忌では、少し前向きになったことが少しわかりました。人間はいつか死ぬものですが、その人との別れは辛いものですね。高齢の伯父が亡くなった時の告別式で同じ葬儀場で、若い人が亡くなった告別式に出くわしたことがあり、その家族の大きな悲しみ、慟哭を思い出しました。人生半ばでの死への旅立ちは家族にとって、こんなにも辛いものかと思いました。
死に対して残された者の気持ちは、死者の経歴がどうであり、辛いものですね。「きつい時は、立ち止まっていい、生きようとする人を支えてくれる人がいる。森田療法と集談会はエンドステージにおいても活用できる理論であり、場所であると思う」という大分集談会のじゅんさんの言葉が印象に残りました。ブリーフケアにも役立つ集談会になりたいですね
<広がれリモート集談会>
通常の集談会とZOOMを組み合わせたハイブリッドの集談会が理想ですね。それに向かって、集談会で各自、努力しないといけないと思いました。
<私らしく生きる>
図書館で森田療法の本を見て集談会に参加したという人は、我々の集談会でもいます。自分が納得して参加される方は、息長く参加されますね。
エネルギーをむやみに悩むことだけに費やすことから行動へと方向転換できるようになったのは自分軸ができたからかもしれませんね。ご夫婦の写真から明るく、人にやさしい整体院だろうなと想像しました。
<中高年のひろば>
◎感じている感じ
面白いタイトルなので興味深く読みました。心の中で理屈で納得させようとすると、強迫観念の渦に巻き込まれてしまうのですね。好きになれないものを無理やり好きになろうとするのではなく、自分の感情を素直にみとめることが「素直な心」「純な心」なのですね。すなわち「好きになれない気持ちも、感謝の気持ちも本当はどちらも、初めから事実として存在していました」ということ言葉から、作者が強迫観念から解放されたことが理解できました。人間の感情とは複雑なものだなあと思いました。
◎都はるみに思うこと
作者は同じ支部のYさんでした。Yさんの「都はるみ論」はどこかで読んだかなと思い出しました。都はるみフアンのYさんならではの面白い解釈と思いました。亡くなられた長嶋茂雄さんも皆があこがれる「長嶋茂雄」を演じていたということを本人がしゃべるのを聞いたことがあります。スターは、みんなの憧れでなければならず、たいへんなストレスもあると思います。演じるのではなく、その人そのものになり切るのは森田理論のなり切るに通じるのかもしれませんね。
2026年発見誌5月号
<巻頭言>第二の人生を自己研鑽のステージに
「相手の自由な考えを尊重する」という姿勢は大事な事と思っています。森田理論はこうだからとか、自分をこうして良くなったからこうしなさいとか、ともすると押し付けるアドバイスに陥っているケースがあります。相手の気持ちを考えて、尊重することが集談会の基本であることを改めて理解できました。
<名文発掘>個人の前進と集談会の関係(上)
集談会とは何か、幹事会、集談会の在り方について長谷川先生の考え方が書かれていました。
「森田理論学習は単に症状や悩みを解消するためのものでなく、人間らしい生き方を導く生涯学習としてとらえる」ことは、社会の中でより良く生きていくための指針になると理解できました。
「マンネリズムの危機とその克服」の項目では、常に新しい課題に挑戦することを忘れてはいけないこと、常にテーマを見つけ行動していくことが生きていくために大切なことが理解できました。集談会の活性化に繋がることですね。集談会の活動が時々、マンネリになっても仕方がないかな?と思っていましたが、マンネリが長く続くような時に以下の文章を思い返してみます、
「常に新たな課題に挑戦して、そのエネルギーを建設的に発揮していかなければ生活を空しく感じる。空しくなると人に対しても自分に対しても不平不満が多くなり、自己中心的になって生活内容が貧しくなる」
<わたしの森田人間学>「森田理論を深める」(1)
山中先生が神経症に陥った経緯が細かく書かれていました。私も小学生?の時に同級生の葬式から「死の恐怖」に囚われたことを思い出しました。今考えると神経質性格は小さい頃から持っていたんだなと思いました。この性格があるキッカケ(仕事上のストレスなど)で表に症状が出て、囚われてしまうのかもしれませんね。そしてうつ状態になっていくのは皆、同じかもしれませんね。先生の克服経緯について次回のお話も楽しみにしています。
<体験記>書痙・対人恐怖・視線恐怖
書痙の症状があってもなんとか仕事をこなして、自身の強みである責任感の強さや真面目さが仕事に役立ったのに、朝礼の講話のことで辞めざるをえなかった経験は、たいへん辛い思いだったと察しました。本屋で「森田式精神健康法」を知ったこと、私もそうでした。この本も絶版になっているらしいですね。
「森田を学んで」の項目では、
①「かくあるべし」で自分を縛っていた。 ②完璧主義 ③欲望と不安は表裏一体 と項目ごとにY・Nさんの考え方がいろいろ書いてあって良かったです。
また「別の世界が見える」と積極的に代表幹事を引き受けられて、新しい課題に挑戦されたことに高く評価します。
「ありのままの自分を出すほうがむしろ人との関係はうまくいく」という言葉が心に残りました。また神経症のことをご主人に言っても言わなくも、同じことかもしれませんが、あまりこだわる必要もないのではと思いました。
<集談会・ヒント集>
集談会を活性化せるヒントを貰っています。SNSを使いこなすのは、なかなか難しい年代ですが、できるだけ利用できるように心がけたいと思います。山口集談会ではHPの作成やLINEでの連絡網などの整備を行いましたが次に何をするか検討中です。
<各地の活動から>
・「東関東支部一日学習会IN水戸」
「事実本位のサイクル図」①見つめる ②感じる ③動く ④気づく
事実を見つめて、そこから感じて、動いて、そして気づくの説明、なんとなくわかりました。
理屈で理解しないで、感じて受け止めることの訓練が我々にはたりないのでしょうね。
・「森田人間学読書会」のよろこび
集談会の話し合いばかりではなく、じっくり教材を読み込むことで気づきができることも大切なことですね。自分の「かくあるべし」に気づくだけでいいのですねという感想が良かったです。
<パニックなわたしの森田な日々>
「吃音症」「対人恐怖」に悩んだはるさめさんの連載を楽しみにしています。
所々で文字での説明があったのも良かったです。
「過去の事実の「意味付け」を変えることで、今までの人生が肯定できる」という言葉は心に残りました。事実は変えられないが、意味付けを変えること(気づき)が大事で、前向きに生きていけるようになることを理解できました。
<生ing セイ・イング>森田療法Ⅳ②
森田療法の基本的な考え方を改めて確認できました。
①強迫性障害、社会不安障害、パニック障害といった神経症を発症する人は共通の性格傾向として内向的、過敏、完璧主義、自己内省的といった神経質な性格を持っている。
②森田療法では、心の不安を異常なものとして取り除くのではなく、誰にでもある自然な感情として受け入れるという考え方
③病気の不安に対する裏には、健康でありたいという欲求が存在するように、不安と生の欲望は表裏一体であり、その事実を認め本来の欲求に乗ってなすべきことをなしていくという自分らしい生き方を実現させていく。
④森田療法の「あるがまま」の姿勢とは、不安を自然な感情として受け入れ、同時に不安の片面の欲求(生の欲望)に従って建設的な行動をする姿勢。
以上、書き出してみました。
<つながり> 今、ここに生きる
死を迎える時期が近づいた高齢者の自分にとっては、たいへん良い企画でした。
「死生観」が自分にとっては、今大きなテーマとなっています。いかに死んでいくか(修道者のように?)ばかりを考えていましたが、そんなことより「今日という一日を精一杯欲張って懸命に生きる」ことに視点をおくべきであることが理解できたように思います。
自分も心臓手術の経験があるのでM・Iさんの手記や「死があるからこそ、生が輝く」の言葉がたいへん勉強になりました。ありがとうございます。次回(人生会議)も楽しみにしています。
<学習会報告>
「思いを文字にすることは、最初は戸惑いもあるが、次第に自分の感情を感じること、そこに向き合うこと、ありのままの自分を感じることにつながっていく」という文章が印象に残りました。症状に囚われていると感じることが弱くなるのかも?と思いました。このため感情を文字にすることは重要なことかもしれませんね。
<中高年のひろば>
同じ年代の仲間の手記で大変、参考になりました。
「こうでしかない自分」を肯定しつつ、生の欲望の強い「こうでありたい自分」を少しづつ「こうでしかない自分」のなかに生かしていくこと、そして症状があっても今やり続けること、という文章が印象に残りました。ありのままの自分を認めてお互い、健康に気を付けて今を大切に、欲張って生きていきましょう!!
2026年発見誌6月号
<巻頭言>完璧の果てに森田と出会う
不安は取り除けるという思い違いに悩んで森田に辿りつくのは、皆さん一緒ですね。「不安と共に生きる」ことを体得していくのが森田ですが、それでも不安を取り除く作業を時々、やってしまいますね。集談会を利用して森田理論を生涯学習として体得したいと私も思っています。
<名文発掘>個人の前進と集談会の関係(下)
・「相互啓発型学習の確立」では、ともに学び、ともに実践する姿勢について理解することができました。森田を知って学んでいく中で、お互いが先生で「自分はまだ悩んでいるが、学習によってこういうことがわかったので、こんな努力をしている」という事実を語ることが先生であり、皆さんへの気づきになりますね。相互啓発であることを忘れてはいけないと思いました。
・「仕事と余暇の区別を超えて生きる」では、「ものの性を尽くす」についての説明も通じることが少し理解できたように思います。仕事と余暇の区別なしに「いま」「ここ」に生きている、これは確かな事実で「いま」「ここ」をいい加減に生きると命を粗末にしたことになりますね。
「私たちは余暇を活用して森田の集団学習の道を選んだ。集談会で仲間と一緒に活動している。活動の中で精一杯工夫して努力するとき、私たちはは命の限り生きている」という文章は、心に残りました。集談会は、自分たちの性格の良いところを磨く場であることも理解できました。
<体験記>逆境と苦悩から生きる光へー不安神経症・パニック障害
壮絶な人生経験から森田を知り、自身の性格である「私様」を見直して、今は心穏やかに生活されているOさんを想像できました。発見会を知って、同じ仲間がいることの安心感、森田を通しての神経症のカラクリを十分に理解されているのだなあと思いました。行動的なOさんには、これからの人生は、安心できる新しい世界が現れるのかな?と思いました。
そしてこの体験記で森田理論の学び直しや「求不得苦(ぐふとっく)」(求めることは出来ても得られない苦しみ)など言葉を知ることができました。感謝です。
<集談会ヒント集>佐賀集談会
佐賀集談会のYさんにHPの作成を教えていただき、お世話になりました。集談会運営で工夫していることの項目は、たいへん参考になりました。以下の言葉が心に残りました。
・理論学習の時間を必ず設ける。集談会は悩みを共有すると同時にこれからどう生きるかを学ぶ場である。
・参加者全員に集談会に参加した感想をお話していただく時間を設けている。話すことで自分自身の気づきを深めていくキッカケになればと、行っている
<パニックなわたしの森田な日々> 「吃音症」「対人恐怖症」
壮絶な少女時代(DVなど)を過ごしたはるさめさんが、どのようにして森田を知り、立ち直っていったのか、これからの展開を楽しみにしています。
<はっ犬 オリジナル森田を読む>
面憎い(おもにくい)という言葉を知りました。憎たらしいという意味だそうです。
自己中心的な面が強い我々は、苦手な人を強く意識することが多いかな?と思っています。
対人関係に役立つ話で参考になりました。そして以下の文章が印象に残りました。
・面憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを、私は「自然の感じのままに服従する」と称します。挨拶くらいはしておいた方がよかろうと考えて、お世辞の一つもいうのを、私は「境遇に柔順」と称するのです。
「自然に服従し境遇に柔順なれ」の言葉の具体例で話されていてよかったです。
<フロムメンバーズ>
・「こころ潤う「今月の言葉」」
山口集談会の原稿を載せていただき感謝です。山口集談会を知ってもらいたい、Uちゃんのすばらしいエッセイを全国の皆さんに読んでもらいたいと思い、投稿しました。
・「不思議な体験」
92歳で集談会に参加されていること、敬意を表します。書痙の方に治らないことを自覚するまでの苦しみや葛藤は、たいへんな事と思います。外に目を向けよ!という森田療法はきつい療法ですね。発想の転換で「左手で書く」という良い考え方ですね。練習すれば、それなりのものになりますね。また私も時々、手が震える経験があったので老人性振戦という症状があることを知りました。ありがとうございます。
これからも健康に留意されて、集談会に参加されることを願っています。
<つながり―今、ここを生きるー>アドバンス・ケア・プラニング
今回の企画は、高齢者の私にとっては生涯森田の最終到達点としてたいへん意味のあるものでした。介護が必要になった時にどう生きたいかを考えるキッカケとなりました。しかし実際にはその時になってみないとわからないというのが自分の現実です。また現役の人達にとっては、「今をどう生きるか」が大きなテーマであり、森田理論も「今を大切に」が基本と私は理解しています。今を強く意識した「今をどう生きるか」とは、少し違うのかなと思いました。しかし最後の方の記述にもありましたが「私たちには森田療法の死生観や自然観が間違いなく根付いていることを感じました」は心に残りました。森田を学び続けることで私にも自然と森田療法の死生観、自然観が身に付いて来ているのかなとも思いました。
<再録 学習会シリーズ>神経症の成り立ち
たいへん読み応えのある内容でした。森田療法にはたいへん難しい言葉も多く、煙に巻かれたような気持ちになった経験もありました。筆者の体験が詳しく書かれていて、わかりやすく説明しようとする気持ちが強く感じられました。そして以下の記述が印象に残りました。
・何か困難な状況に直面すると、すぐに他人や自分以外のものに「依存」する。これは自分に甘く、人には厳しい自分勝手な「自己中心的」な態度です。
・神経症になっている人は、頭の中にある「かくあるべき」姿を現実で実行することが無理な考え方と知りながら、ありのままの自分を認めることができず、いつも現実離れした虚像を求め、さまよっているのです。「症状」は、自然現象ですので私たちの意のままになるものではないのです。
・森田正馬は初めから「嫌な感じ、不快な感じ」が治るとは、一言も言っていないのです。その嫌な感じは治らない、治してはならない、むしろそれと「一体になって生きる」ところに本当の生き方があるのだ、だからそのままなすべきことをしていけばいいと、繰り返し教えている。
☆自分の性格をしっかりと理解し、不快感(症状、劣等感など)があっても、そのまましてなすべきをなして、日常生活を送ることが基本であることが深く理解できました。
<中高年のひろば> あるがまま
ご高齢ながら毎日、一生懸命頑張って生活している様子が感じられました。「中高年の心豊かな人生を考える会」などに出席されて、心豊かに生活しようという意気込みが感じられました。同じ高齢の私の生活に参考になりました。
<ひろば> 生への力と気づき
テレビで横田選手のことを知りました。奇跡のバックホームのシーンを見て、奇跡は起こるんだと思いました。努力が奇跡に繋がったと思いました。また引退後に横田選手は、余命を知りながらボランティア活動で学校での講演会を続けて生徒たちに熱く語る姿に感動しました。夢の実現に向けて努力は奇跡を呼ぶことを伝えたかったのかなと思いました。