発見誌10月号より

☆今月の<私と森田と発見会>森田療法で治った私の「人生観」の記事は、たいへん勉強になりました。また毎月、山口の仲間がモニター記事も楽しみにしています。

<巻頭言>なぜ本だけでは難しかったのか
同じ九州支部のTさんの寄稿でした。集談会参加の意味が書いてありました。
先輩方の経験談や発見誌を読んでの感想を聞く、「森田理論学習の要点」よる学習などが書いてありましたが、「月1回の集談会に参加していると繰り返し学習を重ねていけるため、頭に自然と定着していって、仕事や生活をしている時にふと思い出し、気づき、理解につながりました」の文章が印象に残りました。繰り返し学習は、頭にこびりついたサビ(偏った考え方)を落とすためには、必要であり大事なことだと思いました。

<名文発掘>神経質者と対人関係
神経質症は、人格病として以下の文章が印象に残りました。
・あるべき自分と、現にある自分、現にそうでしかない自分、そういったものが内面で葛藤する。それが我々の苦しみになるわけです。現にある自分というものを、どうしても受容することができないけれど、その自分を変えることができない。その葛藤と挫折が、神経質症の悩みであろうと思います。
あるべき自分と、現実はそうでない自分とのギャップに今だに、悩みながら生きている自分を気づきさせてくれました。

<体験記>あるがままの自分で、ささやかな人生を生きるー抑うつ、夜間頻尿など
同じ九州支部で時々、お話したこともあるHさんの寄稿でした。うつ病で3回も休職した経験は、ほんとうに大変だったと思いました。サラリーマン生活では、たいへん辛い思いを送ってきた結果、人間味や温かみを感じる今のHさんがあるのだなと思いました。私自身もHさんほどではありませんが、サラリーマン生活でうつ状態になり、自己劣等感に悩まされた時もあり、自分の人生と重ねて読みました。不安を受け入れることや、両面観など森田療法の初めて知った時は、目から鱗であったことも思い出しました。
「現在の変えようのない“あるがまま”の自分で、できるだけのことをしよう。自然の流れに乗り、ささやかな人生を生きたい」という文章には、自分も見習いたいと思いました。

<はっ犬くん オリジナル森田を読む>様々の疑問に悩む
禅問答のような話でした。子供のような無心な心(純な心)であれば神経症には、ならないのかもしれませんね。大人になり、知識が増えて疑問や懐疑が多くなると悩むのかもしれませんね。

<パニックな私の森田な日々>
いつも楽しく読んでいます。森田入院療法の様子がよくわかります。いろいろな係を任されて共同生活しながら、日々の生活に目を向けて、回復に至るのだなと思いました。
週1回、多数の精神科医の先生たちが回診されて、患者たちとの報告会があるのですね。
どんな話し合いがあったのか、興味を持ちました。

<私と森田と発見会>森田療法で治った私の「人生観」
たいへん素晴らしい内容と思いました。Kさんの人生の出来事から発症し、森田療法や集談会を知り、Kさんの人生観に森田理論が生かされていることが、具体的な言葉で書かれていて、深く理解できました。集談会に長く出席する中で、Kさんの気持ちに共感することが多かったです。また集談会の在り方も含めて勉強になりました。そして心に響く言葉がたくさん、ありました。以下です。
・神経質者の持ち味は、”地味で誠実である“。神経質の素質をもって生まれたということを感謝すべきである。
・逃げたい気持ちがあっても即時的態度でどんなにビクビクハラハラしながら、一生懸命後押ししてくれた。(森田療法が)
・人生には、いいことや悪いこと、思い通りになることや思い通りにならないことの両方がある。いいも悪いも、ありのままの事実として受け止めましょう。
・人生には如何ともしがたいことがあり、自分でも解決できないものでも、受け容れざるを得ない。
・不安や不快なことなど様々な感情をそのまま受けとめること、まさに「事実本位に生きる」ことこそ、森田療法の本質だ。
・森田療法は、体験療法であり現実の世界を直接経験することを重視し、「理屈でわかるより体験さえすれば治り、治りさえすれば理論は容易にわかるようになるから、体験を先にすることが得策である」(理論の理解よりも、目の前のことに手を出すことを優先と理解)
・不平、不満を言い、自分たちをいつも不幸と感じているのか、その一方でそんな親子をどうしようもないと感じながらも受け容れ、世の中に感謝し、これまでの人生に感謝しているのか?その違いは何かと思いを馳せると「素直さ」だと思うのです。
・治るか治らないかの違いは、素直と強情の区別である。
・「こんなことをしていて治るとは不思議なことだ。どうも納得がいかない」と思いながらも、黙々としてその通り実行するのを「素直」とか「従順」といいます。
・不従順な人は「わからない」」と断言して少しも実行しない。これが横着であり強情である。
・物事を観念的に考えがちな私たちには、「手考足思」の言葉は、いつも肝に銘じておくこと。「手考足思」は手で考え足で思う(陶芸家の河井寛次郎の言葉)
・心の中でわきおこる、さまざまな思考・感情などは「いっさいそのまま」にしておきなさい。そして「自然の法則」にしたがい、尊重しながら、柔らかな姿勢で日常生活を続けてみましょう。
・とりあえず、いま自分がいるところー境遇とか現状ですが、そこがいつでも、わたしたちの基本的な出発点です。
・「しかたなしに・やむをえず・おっくうのまま」なんとか、その時の状況にあわせて生活すれば、それでよいのです。いいもわるいもありません。私たちには、それしかできませんから
・神経質にとらわれていても、よけいな「なんの工夫も修行もいらない」、「神経質のとらわれ」に苦しみ抜いたこと自体が「得がたい人間的な修行」だったのです。
・森田療法を学びながら、なるべく自分にあったムリのない生き方を模索していきます。そうするとと、「かくあるべし」という世間常識・社会通念によるしばりが少なくなります。その分、心の自由が得られます。
・「しかたなしに・やむをえず・おっくうのまま」集談会に出席していたのが良かった。
・集談会に参加するなり森田的生活を続けて実践していけば、折に触れてよくなっている自分を体験することができます。やはり継続がとても大事です。
・対人的には繊細で、打たれ弱い自分だと認識し、今起こったこと、今やらねばならないことをやっていくだけで精一杯というのが本音です。
・悩みの渦中にいる時は、どうしても結果が欲しくて焦ってしまいますが、悩みの渦中にいる人には、「今解決できなくても、待つこと」「問題を抱えながら生きること」の重要性を強調したい。
・今の集談会の問題であるのですが、すぐに何かアドバイスをと考えずに、いろいろな思いで集談会に来ている人を認めて、その人にあった関わり方が必要だと思います。
・発見会の先輩方には、アドバイスをしなければとアドバイス偏重に陥らず、学習しなければと理論学習偏重にならず、恐怖突入しなければと行動至上主義に偏らず、集談会には、いろいろな人がきて、悩みがあってなんとかしたいと思う人から、こんなくだらない話でも聞いてほしいとか、一緒に悩んでくれる居場所が欲しいとか、といろいろな人がきます。
・発見会が、「ひとりの人間同士」としていたわりあう気持ちを大切にして、その人の思いに重きをおき、寄り添う、そうすれば必ず発見会は大きく発展していくことでしょう。

<モリジイと学ぶ学習会シリーズ>行動の原則
森田理論学習の要点にある項目の補足説明があり、もう一度勉強になりました。
・「人生は事実の積み重ねである」
目的本位に行動することによって、行動したという事実が残り、毎日の事実の積み重ねが大切である。ということは事実本位に生活していくことが重要なのかもしれませんね。

<学習会参加報告>
同じ支部のHさんがインストラクターで、参加している仲間がいたので興味深く読みました。皆さん、自分とじっくり向かい合い、心の棚卸を行い、自分の知らない「自分」に会えて、新しいステージが始まったように感じました。
自分なりに森田療法を学んできたので「自分なりの森田で良いこと」「0-100ではなく自然でいいこと」の言葉が印象に残りました。

<中村先生に訊く「第二世代の森田療法家」②>私たちは「見る・即・動く」
たいへん興味深く読みました。
森田療法が、一方で仏教の禅に近い考え方があるのかについて単に、森田正馬が仏教に造詣があったからと単純に考えていましたが、「体得」という深い意味があったことが理解できました。そもそも心と身体は、一体化したものであり、理屈よりもまず体験や体を通した実践(「見る・即・動く」 周りをつぶさに見て気づいたことにすっと手を出す)を優先することの大切さが理解できました。体得することで、後で理屈は考えてもよいのかもしれませんね。作業療法がそれにあたるのかなと思いましたし、不問という言葉がよくわかりました。森田療法が精神科学的な面と禅的な面を統合されて、さらにより良い療法になることを願っています。

<遊You>
同じ支部で存じ上げているYさんと大分のEさんの投稿でした。Yさんは、雑学博士でなんでも知っていることにいつも感心しています。また困ったことから、それが趣味になったとは、まさに森田の両面観(悪いこともあれば、良いこともある)を実践したEさんにも感心しました。すばらしいです。

<中高年のひろば>
◎桃への感じ
小さい頃の経験は、その人の性格形成に大きく影響するのですね。「食べ物に好き嫌いがあってはならない」という観念から解放された反面、食べ物に好き嫌いなく、なんでも食べられる性格が身についたことは、良いことで物事には、良い面も悪い面がある両面観に通じるのかもしれませんね。

◎全面肯定、全面受容、全面感謝
まとめの中の文章が気に入りました。
・全ての出来事や出会いは、偶然ではなく、必然なのではないか、そしてそれらは、必ず、何らかの意味を持って起こっている。その理由はわからないし、分からなくてもいい。
・良い、悪いに関係なく、全面的に肯定し、全てを受け入れる時、自然に感謝の気持ちが湧き、気持ちが落ち着き、楽になり、積極的にかかわれるようになり、幸せになれるような気がする。
気持ち(感情)に余裕をもって、流れるままに生きていく。これがまさに「自然に服従し、境遇に柔順なれ」の心境と理解しました。森田療法の人間観は、人生にたいへん役立つものですね。

参考資料です

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