発見誌5月号より

<巻頭言>「森田と私の40年」
身体の不調から、筆者の過去から現在の気持ちの変化がいろいろ感じられました。その中でどう今後、森田を活用していくのか、教えてもらいたい気持ちになりました。そして以下の言葉が印象に残りました。
・「神経症になったからこそ本当の自分に出会えた」
・「良いも悪いもなく、それがそのままの私です」

<名文発掘>人を不幸にする十二箇条
神経症の症状が真最中の時は、態度や気持ちが絶対的安全を求める絶対主義(完璧主義にも通じるかも?)や過大な要求水準を求めている状態なのでしょうね。相対主義的な考えや身の丈にあった要求水準に修正することを森田は教えているのかも?と思いました。

<わたしの森田人間学>「強迫観念」の体験を語る(4)
山中先生が啓心寮に入寮した時の気持ち、感情が書かれていました。その寮生活で無条件の「ぬくもり」や「あたたかさ」「安心感」を感じ、自己肯定感が培われていったことが印象に残りました。集談会での初回参加者への対応で「安心感」を持ってもらうことが重要であることが再認識できました。そして視線恐怖や正視恐怖の先生が「自然な生き方」として「相手の目を見ない」で対応して、必要な事を実施していくという発想は、参考になりました。症状があっても、各人それぞれが各自の工夫で対応し、日常生活を送っていくことができるのだなと思いました。

<体験記>峠から峠にうつる旅路かな(パニック障害・対人緊張)
若くして森田療法を知り、「感情は意のままにならない。行動は意のままになる」「倒れてのち、やむ覚悟で行け」を信条にパニック障害を抱えながら、社会生活を乗り切ってきたことが良くわかる体験記で、感動しました。集談会への参加が遅くなったようですが、これからの集談会の活動にエールを送りたいと思いました。自分自身にも言えることですが「あまり背伸びをせず、等身大の自分を意識して日々過ごしていく」という文章が印象に残り、勉強になりました。

<私が初めて集談会に参加した日>
最後に書かれていた「集談会に出席される方から、様々な人生を歩まれていることや経験をされていることが学べます」という言葉が印象に残りました。私も参加者の皆さんの話を聴くことで、自分自身の性格で気づかない部分を気づかせてくれる貴重で大切な場所になっています。

<パニックな私の森田な日々>
「場面緘黙症」については、今年の発見誌3月号に森田療法による治療例のレポートで知ることができ興味深く読みました。場面緘黙症的性格からいろいろな場面で苦しみながらの体験記をこれからも楽しみに読みたいと思いました。

<生ing>ホームページから学ぶ 森田療法Ⅲ③
自分の神経質性格を見直すことができました。過去の症状、真っただ中の時のことを懐かしく思い出しました。そして森田に出会って仲間に巡り合い、今の自分があることが理解できました。終活に向けて、生涯森田を目指したいと思います。

<つながり~今、ここを生きる~>「見送ること 生きること」
死を考える歳となり自分自身にとってたいへん良いテーマでした。どんな形で死を迎えるか人それぞれ違いますが、その事ばかり考えると死の恐怖に慄くばかりになりますね。一度しかない人生を今、一生懸命に生きることが死に繋がるのかな(死への納得感?)と思いました。
死は、苦しく怖いものかもしれませんが、だからこそ今を大切に、懸命に生きることを森田は、教えていることを再勉強しました。ありがとうございます。

<中高年のひろば>声を出す趣味のあれこれ
同じ中高年として、皆さんがどんな暮らしぶりをしているか、興味深く読んでいます。自分も老化防止、ボケ防止に何かに取り組まなければと思いました。

参考資料です

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