発見誌8月号より

<巻頭言>今まで、そしてこれからも森田と共に
私も本屋で長谷川先生の「森田式精神健康法」を読んで、自分と同じ悩みを抱えて回復した事例があり、発見会に参加するキッカケになりました。
「どう実践すれば良いのか」「とにかく目の前のやるべきことに手を出すこと」など森田理論の基本の言葉が改めて頭に残りました。

<名文発掘>治るとはどういうことか(上)
表題から興味深く読みました。「不安、恐怖感、緊張感そして症状があろうがなかろうが、目の前のやるべきことをやっていくこと」が治ったと考えて良いのだと理解しました。結果として症状へのこだわりが薄らぎ、より建設的な行動に繋がっていくものかもしれませんね。また我々、神経質者の鋭敏な感受性を良い面に向けていくことが治ることかもしれません。
・「客観的に治った状態と本人の意識と若干ズレがあるのが普通です」「自分が80%治ったとすれば、治らない20%の方へ多く目を向けがちである」など印象に残る言葉がありました。

<体験記>社交不安障害の私、夫と共にー衆前恐怖=
自分のあがり症を認め、人前で震えたり、アタフタすることは仕方のないことだと思えるようになるまでの辛いいろいろな人生経験そして目的本位、恐怖突入の実践は、貴重なものだったのではと思いました。幼児期からの「自分で自分を縛っていた厳しい思考」からの解放には、ご主人の理解も助けになったのではと思いました。また体験記のコメントから対人恐怖の人には負けず嫌いの気持ちが強いことも知りました。

<集談会日記>活年の会
森田を生涯学習として晩年期の日常生活にどのように活用していくかをテーマに活動されていること、頭が下がります。私も時々「生涯森田のすすめ」を読んでいます。
「私たちは、とかく観念的に物事を考えがちですが、事実唯真、事実は何かをよく見極め客観的に考える習慣をつける。不安、不快な感情はそのままにしてやるべきことに手を出す」は、年を取っても神経質的性格は変わらないので大事なことだと思いました。

<パニックな私の森田な日々>
「最後の自己肯定感を育てるのは「矯正」ではなく「受容」なのだ」の言葉に感動しました。
自分の悪いところ(弱み)を問題視して、直そうとするのではなく、それをあるがままに受け入れて、自分の良いところ(強み)に目を向け、積極的に行動することですね。

<はっ犬くんオリジナル森田を読む>
・「自分がしいて善人になろうとすることをやめ自分は、ただこれだけのものである」
・「自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことはどうでもよいというふうに、大胆になれば、初めて人からも愛され、善人ともなるのであります」
などの文章が心に残りました。こうでなければならないという理想主義に、我々は陥りがちですね。自分のありのままを認めて、大らかに生きたいと思った次第です。

<生ingセイ・イング> 読んでいますか?メールマガジンⅡ
少し違う切り口で森田を学ぶことができました。「深刻になるな、真剣になれ」「現在になり切れ」など印象的な言葉がありました。森田を学んでも、なかなか身につかないのは、大人が英語を学んで身につかないのと同じであるという説は、妙に納得しました。理屈は後にして治った人のまねをすることで体得することですね。抽象的な概念ばかり理解しても、行動で一歩踏み出すことがなければ、学んだことにはなりませんね。「学ぶ」の語源は「真似(まね)ぶ」を知りました。

<モリジイと学ぶ学習会シリーズⅡ> 3.感情の法則
読者からのたくさんのお便りの言葉は、たいへん役立ちました。
・「感情のコントロールはできないが、行動はコントロールできる。その行動に勢いをつけるのが、不安の裏にある欲望だ」―――そうなんですよね。感情をコントロールしようとしてドツボにハマるのですね。
・「人間どうしても主観でしか自分を感じることは出来ない。少しでも客観化するには「苦しい」を数値化するとよい」というモリジイさんの提案は気に入りました。自分自身を客観的に見てみることは、囚われないためにも大切のことですね。

<中高年の広場、ひろば>
70歳を過ぎても皆さん、生きがいを持って毎日を生活されていることに感心しました。森田理論がどこかで生かされているのだなと思いました。私も頑張らねばと思った次第です。

参考資料です

powered by crayon(クレヨン)