発見誌11月号より

2025年発見誌11月号
<巻頭言>今、想うこと
私も30年以上前に発見会を知り、入会しました。現在は世の中の状況や発見会会員の年齢構成もだいぶ変わりました。米国ではAI導入による雇用なき経済成長が始まって、失業率の増加も懸念されているようです。人々の心の問題はこれからも増加し、悩みの質も変わっていくでしょうね。世の中の動きに遅れないようにしないといけませんね。以下の言葉が印象に残りました
・森田の学習、日常生活での実践、集談会での振り返りのサイクルの実践
・自分の振り返りと生活改善のための発見会活動

<名文発掘>固い心・柔らかい心(下)
① 事実をそのまま見ること。人の思惑を気にする自分の事実をそのまま受け入れる。
② 弱点、欠点と思っていた自分の性格のプラス面の発掘。両面的なものの見方への変化が起こる。両面観の理解。
③ 万物流転の運動観の理解。自分も変わりうる、成長することができる。葛藤と悩みを通して成長すること、矛盾対立こそが変化の力だということを理解
④ 目的を持って生活する。自覚した欲望を満たすためには、何をすればよいかを考える。
以上が固い心を柔らかい心に変わっていくために必要な理解や行動と思いました。
森田理論を学び、現実を受け入れて、目的を持って生活するなかで自己解放や自己肯定感が得られるのかなと思いました。
現在の世の中では、働く女性も増加しています。家事分担は当たり前です。生活の片寄りを直すためには「布団上げ、靴磨き、風呂掃除」ではなく、別のことを考えなければいけませんね。

<わたしの森田人間学>「強迫観念」の体験を語る(7)
ストレスを常時感じている状態では、精神的な破綻、心を守るために身体的な異常が現れることがあると言われています(胃潰瘍、円形脱毛症などの心身症)。確認行為も心を守るための行為なのかもしれませんね。確認行為が自分を守ってくれているという発想の転換は、すばらしい考えだと思いましたが、そこまでに至るには相当な苦闘の日々があったのでは?と思ったりしました。自分を変えるのは、物事によっては不可能、不安や心配はなくならないとして行動、生活していくうちに考え方も変わっていくのかもしれませんね。

<体験記> 欲望に乗ってー全般性不安障害―
いろいろなことにトライする中で「挨拶」は大切ですね。私も近くの公園を散歩する時に「挨拶」を心掛けるようにしています。仏教にも造詣が深いのですね。八正道(不悪口、不妄語、不綺語、不両舌、不邪淫、不殺生、不偸盗)は、お遍路の時に唱えたことを思い出しました。大事な事柄ですね。
集談会の幹事になられ、自分が動かないと集談会が開けないない状況は「症状にかまっていられない」「常に何かしら働いている状態」となり目的本位の行動がとれて役立った記述は、集談会をお世話することの意味を理解し、作業療法の一環と考えられるという理解は、すばらしいと思いました。
そして「仕事と普段の生活を自分なりに誠実に、一生懸命に症状をひきずりながらもやることで、強迫観念や不安症を徐々に手放されるなってきて、普段の生活をそれなりにこなせるようになった。」という言葉に、なんとかがんばっておられる様子、エールを送ります。

<私が初めて集談会に参加した日>
不安感、恐怖感、孤独感を強く感じて生きてきた中で、集談会で仲間に巡り合えてよかったですね。山中さんの「そのままのあなたですべてよし」は私も読みました。ありのままの自分を認め、前を向いて生きていくことを教えていますね。また初心者対応としての声掛けの大切をこの一連の文章より教えてもらいました。ありがとうございます。

<パニックな私の森田な日々>
基準型学習会で共感、受容、あるがまま、両面観、生の欲望を学んで、どう変わっていくのか来月号を楽しみにしています。

<生ingセイ・イング> うつ病のQ&A③
うつ病は、再発しやすいことで職場の対応が重要であることがわかりました。自分もうつ状態の時に楽な仕事に回され、職場の皆さんが元気に働いている姿を見て、自己嫌悪に陥ったことを思い出しましたが、その時の職場の対応は間違ってなかったのかなと思いました。
また不安障害(対人恐怖、パニック症、全般性不安症、強迫症など)が慢性化すると、うつ状態・うつ病を併発しやすいことから集談会での話し合いでも頭の中に入れておく必要がありますね。神経性うつ病は人生の節目で発症しやすいため、気をつけなければならないし、
その人の成長に繋がっていくと良いと思いました。

<モリジイと学ぶ学習会シリーズⅡ> 6.「あるがまま」と「純な心」
「あるがまま」「純な心」は、これがほんとうに理解できれば、「とらわれ」からの解放も進み、人間的な成長ができるかなと思います。
「できていない自分――これもあるがまま、ダメだなと思う自分――これもあるがままでいいのかな」という記述がありましたが、ここまでの境地に到達するには、それなりの苦労が必要ではと思ったりしました。自分に必要な生活を心掛けて実践する結果として「あるがまま」の境地になるのかもしれませんね。ただ気になるのは、症状に困っている初心者に対して「あるがまま、そのままでいいんだよ」では納得してもらえないのでは?と思っています。森田療法は、なかなか難しいですね。これは持論ですが日常生活に目を向けて地道に生活する過程で、外に目を向けられるようになり、「とらわれ」からの解放につながり、「あるがまま」「純な心」の理解に結果として繋がり、その人の成長に繋がるのかな?と思ったりしてます。

<中高年ひろば>
「餓鬼海峡」や洞爺丸事故の話は懐かしく読みました。その台風関連の火災を体験され、また森田に出会えた人生、これからも健康にお過ごし下さい。

参考資料です

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