「深夜の思い出」 中原中也の詩のイメージで描いたそうです。

山口集談会 6月号

人間関係で悩んでいる貴方,不眠に悩んでいる貴方、神経症に悩んでいる貴方、日常生活に息苦しさを感じている貴方などなど。森田を学んで悩みを皆で分かち合い人生を豊かなものにしてみませんか。私達、生活の発見会山口集談会は森田療法という心理療法を通して相互学習、相互援助を行っている自助グループです。毎月1回、第4日曜日に集まって学んでいます。場所は山口県内で新山口駅より歩いて15分の小郡ふれあいセンターです。一度、アットホームな雰囲気の山口集談会を覗いてみて下さい。仲間との出会いが貴方の人生の転機になればと思います。

6月15日に更新しました。いつもHPをご覧いただきありがとうございます。
☆自分にとって大事な居場所をつくる
ラジオでムーミン谷の話をしていました。フィンランドでは、幼児の頃から心の中に自分の居場所をつくる教育を行っているという話がありました。五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)も使って、目をつぶって自分にとって心地よい場所を想像する、心の中に自分の逃げ込める居場所をつくる訓練をするそうです。不安やストレスを強く感じたら、自分にとってちょっと逃げたり、こもったりする場所があると便利ですね、それも心の中にあるといいですね。日本には森田療法をベースにした自助グループの生活の発見会があります。集談会で不安、症状やストレスへの対応を学び、そして心の中に自分にとって心地よい居場所も見つけることができるとよいですね。集談会がそんな場所であることを願っています。今月も会員の皆様、資料(文章、絵画、写真)の提供ありがとうございます。

<今月の言葉> 『あるがままの生き方』

『あるがままの生き方』
5月の集談会にM先生が来られた。水谷啓二先生の「そんなに苦しいのなら苦しめばいいじゃないか」という厳しい言葉を紹介されたM先生の講話に緊張していたが、集談会ではとてもよいお話をしていただいた。特に心に残ったレジュメの一文がある。

  神経症の症状というものは、片腕を失った人と同じに考えていいのではないかと思います。(中略)片腕を失った人が、その腕をつなぎ合わせようと一生懸命に不可能な努力をしている状態。これが神経質の症状にとらわれている状態ではないでしょうか。片腕を失ったままで、そのままで出来る範囲のことを精一杯やって行く以外にないと思うのです。(M先生のレジュメより引用・1980年発見誌)

ああ。そうか。はた目にはわからないが、どうやら私には片腕がなかったようだ。随分前から気付いていたが、まるで両腕があるかのようにふるまっていた。もうこのまま片腕のまま、出来ることを出来るようにやればいい。それ以外にはない。そう思うと少し肩の荷が下りた。
その時から「そんなに苦しいのなら苦しめばいいじゃないか」という言葉は、安心して苦しんでいいんだよ。という赦しの言葉になって、私を包み、そして支えてくれている。
(Uちゃんより)

<写真,絵画コーナー>

紫陽花は俳句では、「七変化」という季語もあります。梅雨の時期に雨や太陽の光を重ねることや、肥料などの手入れで花色が変わっていくことを表し、それを人生と重ねて作句に使われているようです。
    「雨の色 日の色重ね 七変化」(稲畑汀子)
皆さん、昼の気温は夏日になりました。体調に気を付けてお過ごしください。

たくさんの写真、絵画をありがとうございます。
今月もHPにたくさんの花や楽しい絵を飾ることができました。

それぞれの写真をクリックすれば拡大されます。

お知らせ

6月の集談会はいつもの第4日曜日6/28で、場所はいつもの小郡ふれあいセンターで実施予定です。参加の程、よろしくお願いいたします。
初めて参加の方も、大歓迎ですので、ぜひ気楽にお出で下さい。問い合わせも少しづつ増えています。コロナ感染やノロウイルスにも、お互い気を付けて参加しましょう。

以下が年間スケジュールです。レクリエーションや忘年会もあります。2026年度もウイルス感染に気をつけて集談会も行いましょう。

次回開催日時 
開催場所
会費
6月28日(日)13:00~17:00
小郡ふれあいセンター 
 (住所)〒754-0002 山口県山口市小郡下郷1440-1 
700円/回(会場費及び会運営費として徴収しています)
その他
お願い開催場所へのお問合せはご遠慮下さい。お問合せは発見会本部へお願いします。
HP更新予定毎月15日前後

山口集談会会員の広場、読者のつぶやき、仲間の声

ここでは山口集談会に、参加して頂いた仲間の声を紹介したいと思っています。つぶやきへの投稿、今年もよろしくお願いします。

<読者のつぶやき、仲間の声>

<Sさんより>
・2026年4月19日(日)の集談会を終えて想うこと(先月からの続き)
人の話を「インターセプト」していないか?
インターセプト(Intercept)とは「遮断する」「妨害する」という意味です。相手が味方に出したパスを、受け取られる前に途中でカットして奪うプレーです。これを集談会での話合いの場に置き換えると。一生懸命話をしている相手の話を遮断して自分の想いを語る場面ではないでしょうか。自分がそんなインターセプター野郎的な会話をしていないだろうか。まずは相手の話に耳を傾ける。そして相手の話を理解した上で自分の想いや感想を口に出すように心がけたいものだ。会話の心得に「理解してからから理解される」という言葉があるが、まったくその通りだと思う。
今後の集談会での話合いの場では、話し手の話が終わるのを待った後に、他者からの想いや感想を話す(できれば手を挙げた後に)ようにすることをルーティン(またはルール化)することを提案したい。

・5月の山口集談会より
今回、M先生の「人生は苦である」という講話を聴いて「人生は苦あり楽あり」の方が自分はスッキリする。
また先生は「理不尽」と「不条理」についてハッキリわからないと言われたが、やはり自分は森田療法における「自然服従」は人間社会における「理不尽」を言っているように思える。

理不尽と不条理はどちらも「道理」が通らないことを意味する。大きな違いは理不尽とは人間対人間に対して不条理は自然対人間であることの違いを意味する。
自分たちの富や繁栄のためには人が人を殺すのは道理が通らないはずなのに現実に起こっている。 「事実唯真」
真面目に正直に生きてきた人が自然の猛威(地震、台風等々)で殺されるのも道理が通らないはずなのに現実に起こっている。 「事実唯真」
自然に抗うことはできない相談、但し同じ人間同士であれば何とかなるように思える。

「森田も人それぞれ」、皆それぞれの生きる(人生)が楽しく(快に)なる一助であればそれで良い。「その人なりの森田」、それが良いと私は想う。


<Nさんより>
五月晴れの午後、今年も佐賀集談会からM先生に来ていただき、大変有意義な時間を過ごすことができました。前回のお話は「人生は苦である」というテーマに沿ってお話しいただき、共感出来た方とそうでない方もいましたが、それもその後の良い学習テーマとなりました。
今回はまた別の切り口でお話をいただき、私たちが囚われている神経症自体もあくまで自然現象の一部であり、それを持って生まれた私たちも一つの個性であるのではないかと言うことに気づくことができました。そのどうしようもないことを、どうにか出来るのではないかという誤りと限界をいつ体感でき、日常の行動にシフト出来るかが肝心な気がしますが、やはりある程度の時間が必要かもしれません(個人差あり)。
自分も長く森田に触れていますが、やはり七転八倒しないとたどり着かない境地があるのだと、皆さんとのやりとりやM先生の人生哲学のようなお話を聞いてしみじみ感じました。今日も集談会で皆さんと思いを共有出来るありがたさや集団で学習することの大切さを感じる一日となりました。M先生いつもありがとうございます。

☆今月のHPは、5月の集談会でのM先生の話について色々な感想、気づきの文章が届きました。自分にとって森田療法をどう理解し、どう生かして行くかを皆さん、もう一度考える機会ができて良かったと思いました。
これからも山口集談会の皆さんからいろんな文章をいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。




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